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白杖(はくじょう)を片手に、街を歩く。

2024.01.26

白杖(はくじょう)を片手に、街を歩く。

スーパーやコンビニ、銀行、郵便局、病院、全てが、徒歩圏内ですませられるコンパクトさが気に入って、2018年8月に、東京都八王子市から移住した、加藤 正志さん。
今日も、伊予市のまちを、白杖片手に元気に歩きます。

加藤さんは、網膜色素変性症を患っており、視野の損失率は98%、見えるのは中心部だけで、ちょうど50円玉の穴から見える範囲が加藤さんの視野なのです。
太陽がまぶしい時間帯は、メガネの上からサングラスをかけないと目が痛くて開けられないし、夕方薄暗くなると、見えている範囲もほとんど見えなくなります。
そのため、家の近くでも道に迷うことがあるし、道も塀も、電柱も見えないので曲がり角が分かりにくく、あちこちにぶつかることもあります。

目の不自由さを自覚し始めたのは17、18歳頃で、夜になると極端に見えづらいと感じていました。視野はどんどん狭まり、34歳で網膜色素変性症の診断を受けました。
ベンチャー企業でシステムエンジニアとしてバリバリ働き、結婚もしたばかりの頃でした…。
行けるところまで突き進もうとひたすら仕事に打ち込み、2008年、自分自身を納得させて仕事を辞職するころには、都心の満員電車に乗るのが怖くなっていたそうです。

仕事を辞めて、誰とも会話することなく、家事や、家族の看病に専念する中で、「ああ、自分は社会から取り残されたんだな…」しみじみと悲しくなりましたが、自分ではどうすることもできません。「誰かここから救い出してくれ」そう思うばかりで、何も変わらない毎日が過ぎていきました。

2018年、家族の転勤を機にした伊予市への移住が、文字通り、加藤さんの心機一転となります。
初めての土地で、「視覚障害者」として生きなおす決意を胸に、一人で外を歩く恐怖心をグッと押さえながら、移住初日から白杖を振って街を探検しました。

人の優しさに、戸惑いと感動。

そんな加藤さんが、ある日、ひとりで歩いていると、突然、小学生の男の子が走ってきて「何かお手伝いできることはありませんか?」と元気な声で話しかけてくれました。こんなに小さな子が、完璧な気遣いをしてくれるなんて思いもせず、驚きと感動で、頭が混乱してしまい、「い、いや大丈夫。ありがとう」と、少々ぶっきらぼうに答えてしまいました。東京時代は、大人だってこんなに素晴らしい声掛けをしてくれた記憶はありません。加藤さんは、あのときなぜあんな返事しかできなかったんだろうと後悔されたそうです。

そのわずか2、3日後、今度は、市役所前で信号待ちをしていると、中学校の制服を着た女生徒2人が、「信号わかりますか?一緒にわたりますね。」と加藤さんの左手で右肘を掴ませてくれたのです。
障害者とはいえ、見知らぬオジさんに中学生が、こんなにも自然にサポートしてくれるなんて、とても信じられませんでした。
「この地域は、いったいどのような教育をして、こんなにも良い子たちを育てているのだろうか…」
いつか、地域の学校の先生に聞いてみたいと思っていました。
ところが、さらに翌年のこと!
あるとき、帰りが遅くなって日が暮れてしまい、家の付近で、とうとう何も見えなくなってしまいました。同じ場所を杖で触りながら、ぐるぐると回っていると、少し離れた場所にトラックが止まる音がして、走る足音が近づいてきました。「道に迷われていますか?ご自宅はどちらでしょう。私がご一緒しますね。」
声をかけてくれた若いお兄さんは、宅配便の運転手でした。
このとき、加藤さんは、心底ホッとされたそうです。地元の小中学校出身だという青年は「小学生の時に、視覚障害者の方から教わったことを思い出しただけです。大したことはしていませんよ。すごく困っている様子を見たら勝手に体が動いていました」と笑いながら仕事に戻っていきました。

                                ⇧伊予小学校での交流風景

この時、いつか必ず地元の小学校の子供たちに会って、すばらしい先輩たちの話と、感謝の気持ちを伝えたいと強く思いました。
あれから数年かかりましたが、加藤さんの願いを知ったいろんな方が動いてくれて、小学生との交流が始まりました。今では、加藤さんは市内、どの小学校に行っても、子どもたちに取り囲まれる人気者です。

私を、長いトンネルから救い出してくれた「移住」

街になじみ、趣味の音楽や移住を通じた仲間もたくさんできました。
ひたすら「今日が早く終わらないか」とやり過ごした日々…
伊予市に移住してからは、よく動いて体力も付き、人の優しさに触れて前向きな心を取り戻しました。

「いつか海の見える場所に住みたいね」
かつて、家族と話したことが現実となり、伊予灘に沈む夕日を眺める日々。


「ああ、明日もきっといい日になるんだな~!」
そう笑顔で語る加藤さんは、人生を目一杯楽しんでいる少年のようでした。

取材:YUKA

PROFILE

加藤 正志(かとうまさし)東京都八王子市出身

 

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